2019年11月13日

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市民コラム

2018年08月23日 木曜日 17時42分みうらのひと vol. 3 戦前の三崎の暮らしをイラストで描き続ける 石渡喜一郎

戦前や戦中の暮らしというのは、その時代を生きた人にしかわからないことが多々あります。しかし、三崎にはそういった歴史を今の人でも知ることができる郷土誌があるのです。郷土誌の作成者である石渡喜一郎さん(82)は、高度経済成長期の1950年ごろからイラストを描いており、その数はゆうに1000枚を超えるものとなっています。これらの作品は三崎という街で戦前から生きてきた石渡さんだからこそ描けるものであり、その時代の生活を知ることができる貴重な資料となっています。

三崎に住んでいる方でも1940年ごろ〜1950年ごろはどういった暮らしをしていたのか、想像がつかない人も多いはずです。筆者もその一人なので、石渡さんが見てきた「三崎」という街を、インタビューや作品を通して改めて知ることができました。

イラストを描き始めたのは「惜しいと思ったから」

インタビューは三崎にあるチャッキラコ三崎昭和館で行われました。チャッキラコ三崎昭和館は蔵造りの家をそのままにして、三崎の昭和の暮らしやチャッキラコの歴史を知ることができる展示がされています。石渡さんもこの施設の運営の一人として関わっています。

石渡さんの作品は温かみのあるイラストと文章で、主に1940年〜1950年ごろの実体験が元になって描かれています。今回、拝見させていただいたのは『昭和の郷愁』という郷土誌に収められているもので、「昭和の風習、暮らし」や「昭和に使われていた道具」などテーマごとに100枚以上のイラストが収められていました。

イラストはいつ頃から描き始めたのでしょうか?また、なぜ描き始めたのでしょうか?

石渡さん
描き始めたのは、だいたい昭和40年(1965年)くらいです。高度経済成長期で古いものがどんどんなくなっていく時代で、そういったことを目の当たりして「惜しいな」という気持ちになりました。
私は小さい頃から身の回りのことを日記のようにメモをしていたのですが、「何かを残そう」と思ったときに、そのメモをイラストにしようと思ったのが始まりです。

そこには「後世に歴史を残して伝えよう」という意志のようなものがあったのでしょうか?

石渡さん
いえいえ、そんなたいそれたものじゃありません(笑)
ただ描くのが好きで道楽でやっていただけなのです。なのでずっと描き続けているわけではなく、途中で辞めたりもしています。それに描いては捨て描いては捨てを繰り返しているので、今あるのはその残ったものだけなんです。全部残しておいたら背の高さくらいの枚数があったと思います(笑)

イラストはもともと誰かに見せるために書いていたのでしょうか?

石渡さん
先ほども言ったように好きで描いていたので、最初は誰にも見せていませんでした。キッカケは7年ほど前にチャッキラコ三崎昭和館などに関わるようになって、三崎の歴史を人に伝えるようになってからです。
学生が三崎の歴史を調べに来ることがあったので、私は自分のイラストを貸してあげていました。そんなことをしていると、地元誌などで私のイラストを取り上げてもらうことがありました。そういったことが重なり、チャッキラコ三崎昭和館でも展示するようになり自然に人に見てもらうようになりました。


(石渡さんが作成した紙芝居)


(自ら子どもたちの前で紙芝居を読み、三崎の歴史を伝えている)

石渡さんは「プロではなく素人が描いたものなので、価値はないですが(笑)」と謙遜していましたが、これらのイラストは地元を生きてきた人にしか描くことができない貴重な資料になっているはずです。

石渡さんは郷土誌だけでなく、子どもにわかりやすいように紙芝居などの作品も作成しています。また今でもイラストは手がけており、三崎の医療生協の冊子でイラストなどを提供することもあるそうです。

太平洋戦争の前後では根本的にものの考え方が違う

三崎の町並みを昔と比べて変わったと思うところは何かありますか?

石渡さん
お店は今よりすごく多かったですね。漁業が栄えていた高度経済成長期のときは飲み屋が多くありました。沿岸漁業が盛んだったので羽振りも良くて、三崎だけで経済が成り立っていましたね。そのときと比べると今はかなりお店も減ってきていますし、お店が出来ては潰れるを繰り返すようになりました。

戦前や戦中と現代で一番の違いをどこで感じますか?

石渡さん
基本的なものの考え方が太平洋戦争を堺にしてハッキリと変わりました。戦前の時代は男尊女卑が当たり前でしたし、今ではないような低層観念を持っていたんです。女性は夫以外には肌を触れない、手を繋がないというのは当たり前でした。当時は三崎にも遊郭がある時代でしたし、今とはまったく違いますね。

暮らしも大きく違うと思っていたのですが、人の考え方自体がまったく違ったんですね

石渡さん
そうなんです。それから縦の関係は今より強くありました。会社の上司と部下の関係もそうですが、本家と分家の区別が明確にありました。今より血筋というものが重視されていたんです。縁談一つとっても、船首の娘と船首の息子が一緒になったり、農家も同じ財産の者同士が結婚したりとするのが当たり前でした。
ただそれが悪いというわけではなく、それぞれが分相応の暮らしをしていたので、「無理をしなくても良い」ということもあります。分相応とわかっているからこそ、食べ物や着るものが貧相でも、それが恥ずかしいとかはなかったように思います。


(1940年ごろは紙が貴重であり、白い紙が使われることはほとんどありませんでした。届いた手紙の裏を使用するなど工夫して、勉強するときもあったそうです)


(戦後からはアルファベットの授業も導入されました。これらのテスト用紙などは石渡さんのものであり、母親が大切に保管してくれていたそう)

戦中の暮らしで石渡さんが一番記憶に残っていることはなんでしょうか?

石渡さん
とにかく食べ物がありませんでした。それが一番ですね。米は配給制で、何日も配給がこないことはありました。そういったときは闇米を探すのが大変でした。米がないときはさつまいもやじゃがいも、かぼちゃで飢えをしのいでいましたね。

そういった辛かった時代のことを思い出してイラストで描くときに、辛い思いなどはありませんか?

石渡さん
まったくありません(笑)
本当に好きでやっていることなので、私は気楽に書いてるだけなんです。

三崎の歴史を知りたくなったら、石渡さんのいるチャッキラコ三崎昭和館へ

石渡さんの温かみのあるイラストを見ていると、望郷の念にかられるような思いになります。ただそれだけでなく、太平洋戦争時に不安にかられる人々の感情や、防空壕での生活、遊郭や女性差別の話など、現代では考えられないような生活も切実に描かれています。その時代を生き、実際に体験したことをメモとして残しておいた石渡さんだからこそ作れる作品なのです。

石渡さんの作品はチャッキラコ三崎昭和館に設置されているので、興味ある方はぜひスタッフの方に聞いてみてください。また、「おいらの一年」という作品を、三浦市観光協会の協力のもとインスタグラムにて公開しています。興味あるかたはぜひフォローしてみてください。

インスタグラム

施設紹介

チャッキラコ三崎昭和館

神奈川県三浦市三崎2-11-3

■営業時間
開館時間10:00~16:00
水、木曜定休

■お問い合わせ
046-881-6721(三浦海業公社)